東京物語2016年03月02日

午前十時の映画祭にて
冒頭「松竹映画」の富士山が現在のもののように遠景から真正面を捉えた姿ではない。モノクロでもあり新鮮だった。
昭和二十八年度芸術祭参加作品の文字が。今年が平成二十八年なので、六十三年前の映画だということになる。
山田洋次監督の「東京家族」と同じ内容なのだが、私が観賞する順番を間違えただけで、もちろんオリジナルは「東京物語」です。
老夫婦、長男、長女、次男の嫁、三男、次女の家族の物語。
作中「大東京」という言葉が出てくるが、足立区にあるらしい主人公の長男の家からのぞむ川の土手(荒川だそうです)には雑草が生い茂り、背景に鉄橋が見えるけれど、それ以外には何も映っていなく、今の東京からは想像もつかないような牧歌的な風景である。まだ高い建築物が少なかったと思われる。あの鉄橋は常磐線なのだろうか。老父婦が住んでいるのは広島県の尾道。汽車に乗って東京まではまる一日かかったという。長時間の移動は母親が体調を崩すきっかけになってしまったようだ。私の実家も瀬戸内海側にあるけれど、今は新幹線がある。本数も多いし混んでいなければ快適な電車の旅だ。体力のない老人が途中で気分が悪くなることは、格段に少ないだろう。
昭和二十年代の話だから、兄弟が多い。戦争で亡くなった次男を含めて男三人女二人の五人兄弟だ。大家族なのに住んでいる場所はバラバラ。長男長女は東京。亡くなった次男も嫁の紀子と住んでいたと思われるので東京。三男は大阪。次女だけが親と同居で尾道暮らしである。戦後すぐの時点で、すでに人は大都市(とくに東京)へ集まりだしていたのだろう。
長女以外はあまり感情を表に出さない穏やかな人々で、物語は淡々と進んでいく。それでも兄弟達は年長なほどに性格が冷たくなっていくように感じる。母親が亡くなった時、三男はまだ暖かみを残しているように思った。次女だけは一緒に住んでいただけあって、親の死にもかかわらず無神経な兄や姉の言動に怒りの感情を抱いている。嫁の紀子が言うように人は年をとるほどに自分の生活が中心になり、他人を思いやる余裕がなくなっていくのかもしれない。
未亡人の紀子には子供がない。義理の両親に優しくできるのは孤独な人生が無関係ではあるまい。
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