「何者」「バースデーカード」「ブリジット.ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期」 ― 2016年11月01日
何者
就職活動は、辛い。初対面の全然知らない人たちに必死になって自己主張しなければならないのは、苦行以外のなにものでもない。かつて自分が経験したような光景が映画の中で繰り広げられる。でも私の時代にはパソコンと携帯電話がなかった。企業との通信手段は固定電話と郵便だった。
もちろん就活は現代の方が何倍も厳しい。昭和と平成では戦前と戦後くらいの世代格差があるのかもしれない。
バースデーカード
余命のない母親が子供たちに何かを残そうと努力する姿は昨日の「湯を沸かすほどの熱い愛」にも通じるものがあると言えよう。主人公が住む高台の家から見えるのは海か湖か。長野県には海がないから湖が正解なのだろうか。
ブリジット.ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期
「愛と青春の旅だち」のパロディは笑った。
「ジェイソン.ボーン」「ぼくのおじさん」 ― 2016年11月04日
ジェイソン.ボーン
これまでの作品に比べるとアクション場面にキレがなくなったように感じた。
「ボーン.アイデンティティー」の頃はリアルなアクションが新鮮だったけど、何本も見るうちに演出に慣れてしまったのか、それともマット.デイモンの年齢的な問題で身体能力に衰えが出ているのか、よくわからない。とくに前半部分で少し眠気を覚えてしまった。
ぼくのおじさん
大学の非常勤講師だが、教えているのは週一コマだけで、貧乏なおじさん。兄の家庭に居候していて、いつも万年床でゴロゴロしていて、甥っ子で小学四年生の「ぼく」に遊んでもらっているという設定。
一目惚れした美女を追いかけて後半ではハワイまで行ってしまう。私としては最後まで日本の自宅周辺で押し通して欲しかった。
ボクの妻と結婚してください。 ― 2016年11月07日
もちろん、そんな事をされて喜ぶ妻はいない。
男に協力するという結婚相談所の女社長はいるけれど、彼女が考えているのは「妻の幸せ」ではない。
詰まる所、死にゆく男の自己満足のために、周りの人間が巻き込まれている状況と言って差し支えないのだ。
一番尊重されなければいけない妻や子供の気持ちはどうなるのだ。
子供よりも配偶者(ここでは妻)が重要に扱われている点も、「湯を沸かすほどの熱い愛」や「バースデーカード」と決定的に違うところである。
そのような違和感や疑問点をすべて分かったうえで、織田裕二は大真面目に主人公を演じている。
「ボクの妻と結婚してください。」と。
ここまで徹底していると、すがすがしい。
「ザ.ギフト」「溺れるナイフ」 ― 2016年11月08日
ザ.ギフト
何十年ぶりかに生まれ故郷のカリフォルニアに戻ってきた夫とその妻。
新居の家具を買い物している最中に、高校の同級生だったという男に声をかけられる。
街で再会した昔の同級生と挨拶を交わすのは、普通のことである。しかし、一度ならず自宅にまで、彼からの贈り物が届き、訪問も繰り返されるようになるに及んで、夫婦にとっては迷惑を通り越し、不気味さがつのるようになる。
溺れるナイフ
都会で有名なモデル出身の少女が、地方の神主一族の少年と、惹かれあっていく。
鳥居のある海辺や火祭りの風景は都会とは別世界で、映画に重厚な雰囲気を醸し出す。
中学、高校生の恋愛を扱っているけれど激しくて血が出るような感覚だ。さらには悪意をもった大人が絡んでくるので、主人公たちが受ける傷は深い。前衛的というか、よくわからない結末だ。
「オケ老人!」「ジャック.リーチャー」「続.深夜食堂」 ― 2016年11月11日
オケ老人!
杏。
長身で痩身、顔が小さく手足が長く、身に纏った黒い燕尾服の裾から手首と足首がはみ出している。舞台中央、オーケストラのど真ん中、指揮台に立つ姿が並外れて見栄えがし、美しいのだ。
演技もいいが、天性に恵まれた身体は、まさに女優ですね。松田優作みたいにジーパン姿で防波堤を走らせてみたい。
ジャック.リーチャー
先日、鑑賞したジェイソン.ボーンのときも同じ経験をした。眠気を覚えたのだ。私は米国産のアクション映画には飽きてきたのだろうか。
リーチャーが何にも持たない男で、手ぶら同然でヒッチハイクをしながら旅をしているという設定は好きだ。
続.深夜食堂
新宿駅の高架をくぐって歌舞伎町のネオンが瞬く街並みに入っていく導入部には、なんとも言えない味わいがありますね。私は不破万作が好きで、じいさんになったとき、あんな感じで食堂の隅で飯を食いたい。そう希望します。
最近のコメント