四人組がいた。2019年04月07日

高村薫の本は好きなのだが「太陽を曳く馬」以降の作品は読んでいなかった。「晴子情歌」の頃から難解な旧仮名遣いの表現が出てきて、それでも母子の話のうちは良かった。「新リア王」では仏教の専門用語が何の説明もなく普通に飛び交い、「太陽を曳く馬」に至ってはオウムの教義に関する考察にまで頭を使わねばならぬようになる。
宗教に関する予備知識がなければ読み解くことが難しく、寺の和尚ならばわかるのだろうが、信心からは程遠いところに存在する一般市民の私などには、物語の中に入り込むのに敷居が高くなってしまった。仕事を辞めて暇な時間ができたら専門書を紐解いて学習してからあたらめて読み直してみたい。
「四人組がいた。」は私の中では十年ぶりの高村薫の作品である。
舞台は山奥の寒村。村の郵便局兼集会所に集うジジババ四人の話で、平たく言えば現代における老人達のお伽話である。現代社会の風刺が毒々しく語られているが、毒薬の作用が限定的なテレビの松本人志みたいに本人は面白いつもりでも見る人によってはちっとも笑えない。そんな小説だと思いました。
TNB(田んぼ)48の「ベビーローテーション」とか、かなりベタベタなギャグがあり、これは本当に、かつて旧仮名遣いと仏教で私の脳みそを悩ませたあの高村薫の文章か、と。
お伽話の短編集。また読みたいと思ったので、今度は離島の漁村とかを舞台にして描いてください、高村先生。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://zuihituyarou.asablo.jp/blog/2019/04/07/9056964/tb

アクセスカウンター