パブリック 図書館の奇跡2020年08月06日

邦題がわかりにくかった。映画を見たらわかるけど、パブリック(public)は「公共」という意味だった。パブリック図書館は公共図書館(市民図書館)のことなのだ。
凍死者が出るほどの寒波が来て、行き場を失った路上生活者たちが市立図書館を占拠するという話である。動機は市の緊急避難所が満杯で入れないという切実なものだった。
野心家の検察官に立てこもりの主犯のように仕立て上げられてしまった図書館職員のスチュアートさん、自宅が警察の家宅捜査を受け、前科がある元路上生活者であることが判明、マスコミも絡んで来てややこしい立場になってしまう。
理由はともかく公共施設での立てこもりが犯罪であることに変わりはなく、やがて図書館は機動隊に取り囲まれてしまう。どう転んでも待っている結末は全員逮捕なのだが。スチュアートさんと他の皆さんがどのような決断をするのかが見所になっています。
映画の中に登場する図書館は素晴らしい施設で、普段私が利用している近所の図書館に比べてもはるかに近代的で立派な建物だった。真冬に暖房が効いて暖かいしパソコンの利用もできる。トイレは言うまでもなく、どこもかしこも清潔だ。ここは誰にも利用する権利がある。だから職員たちも利用時間内であればどんな人が来ようとも拒まないのである。伸び放題の頭髪や髭、服装がみすぼらしいのは仕方がないとして「体臭」に関しては難しい問題ですね。劇中、図書館の皆さんも対応に苦慮しておられました。
制作、監督、脚本、主演のエミリオ.エステベス。コッポラ監督の「アウトサイダー」に出ていたそうです。何の役だったのだろう。スタインベックの「怒りの葡萄」は気になった。夏休みの読書用に今度図書館で借りてみようか。

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(4Kデジタル修復版)2020年08月01日

寅さん十四本目。第十七作、昭和五十一年の公開。
夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か
黒っぽい屋根の町屋が並んだ龍野の風景が美しい。「赤とんぼ」を作詞した作家は龍野の出身で劇中、市長の部屋に大きく歌詞が掲げられている。タイトルはここからきているようです。
上野の飲み屋で出会った日本画の大家と龍野の橋の上で再会し、同行を決め込み、市長一行の接待を受ける寅さん。昼は市内観光、夜は宿の座敷で芸者と遊ぶ。龍野には別の目的があって接待が煩わしい画家と、それを身代わりとなって引き受ける寅さん、流れ者の寅さんとウマが合う芸者のぼたん。三者三様で播州の朝昼晩が過ぎてゆく。
柴又に戻った寅さんは事あるごとに「しかし龍野じゃなあ」と自慢話を繰り返し、周りの人をうんざりさせる。そんな時芸者のぼたんがとらやを訪ねてくる。彼女にはどうしても東京まで来なければならない理由があったのだ。
飲み屋で登場した折には小汚いジジイにしか見えない画家の宇野重吉さんが傑作で、転がり込んだとらやを旅館と勘違いしたのか、おばちゃんに「風呂」とか「梅干しにお茶」とか、次々に指図する場面は笑えた。仏頂面で返しながらも「寅の客人だから」と受け入れてしまうとらやの人たちの善人ぶりもいい。揉め事を抱えて上京してきたぼたんのことを本気で心配して味方につくタコ社長、あんたは頼りになる。
シリーズ中の傑作の一つだそうです。私もそう思います。

男はつらいよ 葛飾立志篇(4Kデジタル修復版)2020年08月01日

寅さん十三本目。第十六作、昭和五十年の公開。
冒頭、寅さんのことを実の父親ではないかと柴又までやってくる山形の女子高生。現役アイドル絶頂期の桜田淳子(役名は順子)です。先日に見た「かもめ歌」の伊藤蘭が霞んで消えるほどに可愛く可憐で愛らしい。彼女の母親おゆきさんに昔世話になり恩義を感じた寅さんが毎年手紙とお金を送っていたのだ。そのことで「もしや」と思って修学旅行のついでにとらやに立ち寄ったのだった。このとき、とらやの面々は順子からおゆきさんが去年死んだことを聞く。
後日、山形を訪れた寅さんはおゆきさんの墓参りをするのだ。墓前で地元の和尚からおゆきさんの生前の言葉を聞き、いろいろ辛い思いをし、学がなかったことを後悔していたと知らされる。
後半は「己を知る」こと、学ぶことに目覚め、柴又に帰った寅さんが、大学で考古学の助手をしている礼子さんと知り合い、惚れてしまうという展開です。礼子さんの師匠が田所博士(日本沈没の小林桂樹が同名で演じています)で、今回は寅さんよりも十才年上の博士が恋敵という設定になっています。
独身だという博士の話を聞いて、その身なりから身寄りがなく道路工事の現場で働いている気の毒な人だと勘違いをする寅さん。煙草を吸いながら団子を食べ煙を吐きながらお茶を飲む田所博士。
ラストシーンの富士山がいい。

男はつらいよ 寅次郎子守唄(4Kデジタル修復版)2020年07月26日

寅さん十二本目。先日の「寅次郎紅の花」で幕引きのはずだったのだが、あまりにも面白いので、もっと見たくなり、全五十作を上映している大阪ステーションシティシネマまでやってきた。時系列は巻き戻って第十四作である。
冒頭、登場する佐賀県呼子港にあるストリップ劇場がらみのエピソードにえも言われぬ味わいがある。逃げた女房(小屋のダンサー)に赤ん坊を押し付けられた男に同情したばかりに、まるで駅伝のタスキのごとく置き手紙とともに子供を置き去りにされてしまった寅さんであった。
寅さんは赤子を抱えたまま葛飾柴又のとらやに帰る。
マドンナは看護婦さんの十朱幸代ですが、今回は寅さんとの絡みは比較的少ないように思います。赤ん坊はとらやの人々に可愛がられて元気になりますが間も無く九州から迎えにやってきた父親とそのつれあいに引き取られ、帰っていきます。
寅さん同様に看護婦に惚れている貧乏な青年がいる。趣味で集まっている下町のコーラスグループがありまして、看護婦さんと青年はこれに属しており、赤ん坊が縁になって寅とさくらが誘われるわけであります。
後半、青年のアパートを寅さんが酒を持って訪問する。独居男の部屋はある意味己の趣味で固めた殿堂である(この場合は音楽)。ここで意気投合した二人は、、、。
ラストは再び佐賀県呼子港。赤ん坊を訪ねる寅さんの姿があった。

レイニーデイ.イン.ニューヨーク2020年07月25日

話の冒頭、ニューヨーカーの男の子がアリゾナ出身で美人の恋人を自分の地元であるニューヨークでエスコートすることに喜びを感じ、張り切っている。
日本で言えば東京の中央区とか港区あたりで生まれて暮らしそんな地元を愛している若者が、兵庫県出身の美人でキュートな女の子を銀座や台場を案内してまわる、そのようなイメージだろうか。
残念ながら私はニューヨーカーでも東京人でもありませんので、自分の中の貧しい経験値の中で場面を想像するだけなのですが。
ウディ.アレン監督の喜劇なので、初めから終わりまで俳優さんたちは喋りっぱなしであります。登場人物が多く、主役のカップルを中心にいろんな人たちが交差します。仕事帰りで疲れた脳みそには、しょーもない会話の連続で、わたしゃ途中で眠くなりました。この映画がどのような作品なのか、ある程度わかってからの鑑賞だったはずなのですが。ウディ. アレンは嫌いではないので、今日の私は体調が良くなかったのだろう。
主人公の男の子のひねくれ方は好ましいが、あまりに老成した精神構造は現実離れしている。監督が年をとりすぎて、自身が今から七十年若かった頃の気持ちを忘れているに違いない。
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