ミレニアム(1)-(6) ― 2025年03月07日

連休、田舎に帰り、飯と風呂、寝ている時間以外は犬の散歩と、居間でのDVD鑑賞。
「ドラゴン.タトゥーの女」「火と戯れる女」「眠れる女と狂卓の騎士」各三時間。
スティーグ.ラーソン原作の映画三部作、完全版との表記だったので、いわゆるディレクターズカットかと思って鑑賞しましたが、題名は「ミレニアム」となっていて、90分のエピソード全六話の構成でした。
三部作を再編集して一本分のテレビシリーズとして放送されたものではないかと想像します。
理由は分かりませんが、ハリウッド版では「ドラゴン.タトゥーの女」のみで終わってしまい、その後の作品は映画化されませんでした。原作においては横溝正史の推理小説みたいな一作目を経て国際的な人身売買、諜報活動、そして最後には法廷劇に至ります。むちゃくちゃ面白い小説なのですよ。政治雑誌の編集長を務めていたというラーソンさんには反権力の思想が色濃く反映されているように思います。権威に厳しい目を向け、不正や不平等には容赦がない。清濁併せ呑むという言葉はなく、覇権を許されるのは聖人君子のみで、それも長期は、、、以下略。
本国のスウェーデンでは三部作すべてが映画になっていて、日本でも公開されています。十年くらい前に衛星放送で見たこともありますが、普段の生活で北欧の映画はあまり出会える機会がありませんので、貴重な映像だと思って鑑賞いたしました。ストックホルムおよびその周辺、世界の果てへの旅、全部で九時間ですね、堪能しました。

ネスカフェエクセラ ― 2025年03月17日
わしゃコーヒーが好きで、家ではいつも飲んでおる。飲んでおるのはネスカフェエクセラのインスタントである。やかんで湯を沸かし、コーヒーカップにネスカフェを入れ、砂糖を入れ、クリープを入れて、湯を注ぐ、スプーンでかき混ぜる、それがわしのコーヒーを淹れる段取りである。安い早いうまい。
部屋でコーヒーを飲みながらヤマザキの菓子パンを食う時間はいいものだ。
今日、スーパーマーケットでの買い出しのおり、売り場のコーヒーを眺めていたら、ネスカフェのパッケージが小さくなっていて、しかも値上がりしているのに気がついた。それも大幅な値上がりだった。値段は変わらないが微妙に容量が減るというのは、よくステルス値上げと呼ばれ、消費者の非難のまとになりますが、今度のネスカフェは見た目にも明らかに瓶が小さくなり、さらに大幅な値上がりであった。十個入りで百円で売られていたみかんが七個入りになって百三十円になってしまったような感覚である。
ステルスではない、正々堂々とした、わかりやすく、公明正大な、値上げである。うーん気持ちがいい。
気持ちはいいが、財布にはダメージである。コーヒー、アメリカンにしようかしらん。でもそれだけでは追いつかないわね。いやだわ、いやだわ、バイトの時給、上げてほしいわ。
部屋でコーヒーを飲みながらヤマザキの菓子パンを食う時間はいいものだ。
今日、スーパーマーケットでの買い出しのおり、売り場のコーヒーを眺めていたら、ネスカフェのパッケージが小さくなっていて、しかも値上がりしているのに気がついた。それも大幅な値上がりだった。値段は変わらないが微妙に容量が減るというのは、よくステルス値上げと呼ばれ、消費者の非難のまとになりますが、今度のネスカフェは見た目にも明らかに瓶が小さくなり、さらに大幅な値上がりであった。十個入りで百円で売られていたみかんが七個入りになって百三十円になってしまったような感覚である。
ステルスではない、正々堂々とした、わかりやすく、公明正大な、値上げである。うーん気持ちがいい。
気持ちはいいが、財布にはダメージである。コーヒー、アメリカンにしようかしらん。でもそれだけでは追いつかないわね。いやだわ、いやだわ、バイトの時給、上げてほしいわ。
教皇選挙 ― 2025年03月24日

洋画の新作を映画館で見たのは本当に久しぶりだった。ポスターにアカデミー賞脚色賞受賞とある。が、ホイチョイの馬場康夫さんによると(You Tubeチャンネルが好きでよく見ています)近年アカデミー賞の権威は下がっており、アカデミー賞を受賞したからといって観客は呼べなくなってしまっているという。そういえば私は誰かに近年の作品賞受賞作を聞かれても全く答えられない。
カトリック教会、バチカン、ローマ法王を決めるコンクラーベは、ダン.ブラウンの天使と悪魔を読んだときに、その仕組みを学んだ。小説だから現実の世界とは齟齬があるのだろうが、全体的な雰囲気はあのようなものなのかな、と。この映画は外界から隔離されたバチカンのシスティーナ礼拝堂の周辺で進行し、終える。語られているのは政治の世界そのもので、神聖な信仰の精神とはかけ離れた人間同士の生身の諍いだった。選挙とは票を奪い合う闘いだから、戦争だというベリーニ枢機卿の言葉は的を得ている。神様は別、選挙で勝った人間が正しいという世界である。民主主義とはそういうものだ。
映画を見た人ならばわかるだろうが、登場人物は皆じいさんで若者はまったく画面に出てこない。枢機卿はほとんどが白人で、アフリカ系の人は少ない。その他、女の登場人物として修道女がいますが、台詞があるのは二人だけです。
岸和田市長が女がらみで失職とか、兵庫県知事がパワハラやら公職選挙法違反とか、総理大臣が金券を配ったとか、現実の世界となんら変わりがない生臭い足の引っ張り合いが展開する。見慣れた都会の議事堂で背広を着た議員同士がやっているのではなく、バチカンの中世ルネッサンス建築物の中でミケランジェロの絵画の下、大仰な道具を使って豪華絢爛な祭服を纏った外国人の神父さん達がやり合っているから見応えがあるのである。
場の緊張感を煽る音楽も良かった。
カトリック教会、バチカン、ローマ法王を決めるコンクラーベは、ダン.ブラウンの天使と悪魔を読んだときに、その仕組みを学んだ。小説だから現実の世界とは齟齬があるのだろうが、全体的な雰囲気はあのようなものなのかな、と。この映画は外界から隔離されたバチカンのシスティーナ礼拝堂の周辺で進行し、終える。語られているのは政治の世界そのもので、神聖な信仰の精神とはかけ離れた人間同士の生身の諍いだった。選挙とは票を奪い合う闘いだから、戦争だというベリーニ枢機卿の言葉は的を得ている。神様は別、選挙で勝った人間が正しいという世界である。民主主義とはそういうものだ。
映画を見た人ならばわかるだろうが、登場人物は皆じいさんで若者はまったく画面に出てこない。枢機卿はほとんどが白人で、アフリカ系の人は少ない。その他、女の登場人物として修道女がいますが、台詞があるのは二人だけです。
岸和田市長が女がらみで失職とか、兵庫県知事がパワハラやら公職選挙法違反とか、総理大臣が金券を配ったとか、現実の世界となんら変わりがない生臭い足の引っ張り合いが展開する。見慣れた都会の議事堂で背広を着た議員同士がやっているのではなく、バチカンの中世ルネッサンス建築物の中でミケランジェロの絵画の下、大仰な道具を使って豪華絢爛な祭服を纏った外国人の神父さん達がやり合っているから見応えがあるのである。
場の緊張感を煽る音楽も良かった。
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