「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」2024年03月26日

宣伝文句がイカしていて曰く、宇宙一カッコいいロードショー。
確かにイーストウッドのガンマンは宇宙一カッコいい。
(荒野の用心棒)
メシを食うにも困っている一文なしだが、早撃ちの名手。そんな正体不明の男がふらりと町にやってきて、悪党どもをやっつけた後、またふらりと去ってゆく。ただメシを食わせてくれた食堂の主人には恩義と友情を抱き、家族と引き離されて荒くれ者に囲われている女には助けの手を伸ばす。情けもあるが悪には容赦がない。さすらいの口笛にはロマンがある。
(夕陽のガンマン)
お尋ね者を追いかける賞金稼ぎの物語。今回の名無しの男(イーストウッド)には彼が爺さんと呼ぶ相棒がいる。汽車の中で聖書を読んでいる姿で冒頭から登場し、最初に訪れた町で一人目の賞金首を仕留めるのはモーティマー大佐(リー.ヴァン.クリーフ)である。彼がもう一人の主人公で、イーストウッドとのW主演と言っても差し障りがないように思われる。名無しの男とは違い、ほんの少しだけ過去が語られる。

米国人俳優のイーストウッドがなんでイタリア産のマカロニ.ウエスタンに出演したのか、事情はよくわかりませんが、名作が生まれたのだから結果は吉と出たと言えましょう。

布施2024年03月10日

東大阪。灰色というか、街に何となくすすぼけたような印象があるのは比較的古い建物が多いからなのか。大きなアーケードがあり、昔ながらの商店が軒を連ね、しかも人通りが少ない。いまだに成り立っているのは、店主が自分の家で商売を続けていて、家賃がかからないから、なのか。人が代替りすると歯が抜けるみたいにシャッターが下りていき、やがて更地と化す。そうなりつつあるような、ないような。自分の勝手な憶測なので、実際はわからない。昭和の雰囲気を残していて好ましいので、あまり変わってほしくはない(郷愁)
私は吉野家が大好きです。駅の高架下にある店に行ってきました。牛丼の並を注文して、生姜をたっぷりとかけて食べるのがいい。しかし今日は、前回もらった紙のクーポン券を使うことにする。捨てずにちゃんと持っているのだ。鉄板牛焼肉定食か鉄板牛カルビ定食か牛焼肉丼か牛さば定食が、50円引きになる。迷った末、牛焼肉丼を注文した。イレギュラーだと思うが、すこし焦げの入った焼肉丼が出てきて、私は密かに嬉しかった。香ばしくて美味いのだ。クーポン券はまだ残っているので(残ってなくても)近いうちにまた来よう。

麺豚2024年03月07日

正午前、正確には十一時半、近所の中華料理屋に行く。私が学生時代から知っている店である。大将が年をとってきたせいか、最近は夜の営業をやめてしまい、開いているのが昼間の三時間だけになってしまった。混んでいるし、早めに閉めてしまうこともあるので、油断すると出かけて行っても食べられないことがある。いつでも食べられた時代が懐かしい。
コンロの上で中華鍋を揺すってデッカいお玉で具材をかき回す、鉄と鉄がぶつかり合う音が空きっ腹に響いて、待つ方は食欲が増幅されてしまう。あの重そうな鍋を火の前で一日中使い続けるのにはかなりの体力を消耗するのだろうと想像します。
注文したのは餃子とカツ丼だった。調理は大将がひとりでやっておられるので、提供までにやや時間がかかる。最初に餃子が出てきて、少し間をおいてカツ丼が来た。餃子は焼き餃子で一人前6個である。餃子のタレを小皿に垂らして箸でつけて食べた。パックのカラシもあったので、これも使った。辛味がくわわっていいが、私はラー油の方が好みであります。カツ丼は、白い飯の上に大ぶりのカツが乗っかっていて、卵、ネギ、玉ねぎの餡掛けで仕上げてあります。箸でなくレンゲで食べるようになっており、見た目は中華丼風です。これに中華スープがつきます。量が多いのでゆっくりと食べました。うまかった。
そう、この店の盛り付けはかなり量が多い。夫婦でこられたお客さん、奥さんがオムライスを食べきれなくて、旦那さんに助けを求めていらっしゃいました。知らないで来店すると、びっくりすることもあるようです。学生街の中華飯店ですからね。味もボリュームも大きい。私自身も年をとってきたもんだから、帰ってから胃袋に血が集まったせいで眠くなり、炬燵の中で夕方までウトウトしておりました。晩飯の時間になっても腹がへらないし。

ツィゴイネルワイゼン2024年03月04日

テレビで見たのが何年前なのか思い出せない。久しぶりなので、よく覚えていない映画であった。中砂の「承知だな」という台詞だけは、何に対して承知なのかは定かではないが、何故だか記憶に残っていた。
五日前、陽炎座を鑑賞した後だったのが、幸いしたのか、わかりやすく感じてしまった。陽炎座では、現実と空想の境界線がなく、難解だとの感想を抱きましたが、この作品においては、まだ違和感が少なくて、ぶっ飛んだ表現も抑え気味のように感じた。もしかしたら耐性の問題であり、陽炎座で鈴木清順の世界観に免疫ができたからなのかもしれない。
ツィゴイネルワイゼンは士官学校独逸語教授の青地と旧友の中砂、そしてその妻たちの交流が描かれている映画であります。自由奔放で狂気すらおびている中砂の行動が予測不能で、まわりは振りまわされるのだが、みんな付き合いを止めようとしないのは、その人間性に魅力があるからだろうと思われる。
冒頭で、サラサーテのSPレコードが演奏され、途中で録音時に偶然入った人の声が聞こえてくる。何と言っているのか聞き取れない。弟を亡くした芸者が登場し、火葬で焼かれた骨がうっすらと血の色を帯びていたという逸話がある。盲目の旅芸人(年老いた男、若い女、若い男)が、三角の愛憎関係を抱えながらも、離れることができないまま、旅を続ける。この三本の伏線が話の進行を支配していてですな、摩訶不思議な生死の物語が綴られていくわけです。

陽炎座2024年02月28日

鈴木清順監督の作品を最初に見たのは中高生の頃、夕方のサンテレビで見た河内カルメンだった。細かいことは忘れてしまったが、変な映画だったという印象は強くあり、ゆえに記憶に引っかかっているのだ。
もう一本は深夜放送で見たツィゴイネルワイゼン。
陽炎座は3本目の鑑賞である。現実と空想の境界線がなく、難解である。理解に苦しむ表現もある。一つ挙げるならば金沢行き特急列車の一等客室の中、揺れる電車の中で足元がフラつく松崎に対して微動だにせず立っていられる玉脇、とか。他にも例を出すとキリがないが。人間が現実の世界ではありえない動きをしているのでリアリズムからはほど遠い。特に歌舞伎の部分の歌詞と演舞がわかりにくく、当惑することこのうえない。
これは映画で夢の世界なのだと割り切れる脳みそと、柔軟な感性があれば、もしかしたら楽しめるかもしれません。映像が耽美である。
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