2025年02月13日

庭に面した縁側があり踏石の奥を覗くと縁の下が見える。私が小学校の低学年まで暮らした家があんな感じだった。前半は家の中で話が進行する。米を研ぎ飯を炊き魚を焼く。日本家屋にベッドを持ち込んで寝てい、書斎の机の上にはiMacが鎮座している。ソファーもある。渡辺先生は仏文学の元教授だったらしいので、きっとハイカラな性分なのだろう。整理整頓がゆきとどいていて、しかも一日中家にいるわりには身なりも小綺麗な洋服を着てい、私のようにジャージなどではなく、洒落ている。蔵書も豊富で、さらには全部が読み終えたものであり、内容も覚えていて思いついた本の在所を確かめたいと思えばすぐに取り出すことができる。
理想的な一人暮らしの隠居生活を過ごしているように見える、そんな人物だ。
話が進むにつれてフェリーニの8 1/2みたいに現実と妄想の境界線が曖昧になり、映画が難解になっていく。私としては若い女と仲良くなるというのは男の妄想として健全なものだと思うので(今時の女性の観客には不快かもしれないが)もっとエロチックな展開を期待してしまった。ハラスメントなどという台詞は興醒めであった。題名にもなっている敵というのは老いとか病気とか、そのようなものかとも考えられるが、具体的に北から来るとか言われてい、不気味な人間や発射される銃弾などの描写が出てきたので、単純にロシアとか革命軍とか殺人鬼とか、なんだかわからない。漠然とした不安という名の怪物なのかもしれない。

年のせいか疲れているのか、先般のグランメゾン.パリとか雪の花みたいな単純な話の方が楽しめる、かも。平日だったが、公開されている映画館が少ないのと、一日一回のみのスケジュールのせいか、観客が多かった。こんな話は映画でしか楽しめないだろう。しかも滅多にないモノクロ作品である。

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