ラプラスの魔女2018年05月16日

よくわからない題名だが、ラプラスというのは19世紀の数学者だそうです。「全物質の力学的状態とエネルギーを知り、計算できる知性が存在するならば---云々」で、要約すれば、未来に起きる出来事を予知できる者を「ラプラスの悪魔」と呼ぶそうです。主人公が女なので「魔女」ですな。
温泉地の河原で硫化水素を吸って死亡した映画プロデューサーの事故が、殺人事件ではないのかと疑念を抱いた刑事が大学教授に調査を依頼するところから始まる。しかし屋外において計画的に致死量の温泉ガスを吸わせて人を殺すなど不可能で教授は事件の可能性を見出せず調査は終わる。それから数日後、別の場所で似たような状況の死亡事故が起こり、再び現場を訪れることになる教授であった。両方の現場をうろついている女が「魔女」で、その不可解な行動の理由は話が進むにつれて明らかになっていく。
櫻井翔は顔が良すぎるキライはあるものの人の良さそうな教授役は案外と似合っていて悪くなかった。ラプラスの悪魔は後半になるとピンポイントで竜巻が発生する場所まで予知するほどになる。ほとんどX-MENの領域で荒唐無稽甚だしい。広瀬すずは可愛いけれど大人になりかけの健康優良児みたいで、ちっとも悪魔的な知性を持っているようには見えない。役柄にぜんぜん説得力がなくて残念なのだった。志田未来、佐藤江梨子、玉木宏、リリー.フランキー、豊川悦司など脇役の人たちは適材適所といいますか、きっちりと脇を固めていて見所があり、なんとか最後まで飽きずに見ることができました。
刑事が大学教授に事件の調査を依頼するというのは「探偵ガリレオ」じゃないかと思ったら、同じ原作者なのですね。納得です。

地獄の黙示録2018年05月20日

初公開時、なんだかハマってしまって劇場で三回見た映画。いろいろな議論を呼んだ作品だったと思う。
九十年代に「ハート.オブ.ダークネス」という映画があった。コッポラ監督の婦人が作ったドキュタリーで「地獄の黙示録」の舞台裏を知ることができる。指定された原作を読まず、不摂生で太りすぎたマーロン.ブランド。
凝りすぎて変更に次ぐ変更のシナリオは意味をなさず、結末も書けない。ブランドは三週間の契約でそれ以上の拘束は不可能であり、現場で即興芝居を撮り続けるしかない。要するに脚本がない状態で、俳優と監督がその場の思いつきで芝居を撮影し、残されたフィルムを無理やり繋げたのが、後半のカーツ大佐のシーンだったのだ。コッポラ監督はノイローゼになり、屋根から飛び降りて死ぬか不随になれば作品から身を引けるとまで思ったという。
前半は素晴らしいのに、カーツの王国に行き着いた途端に眠たくなったのは必然だったと言えよう。
何も知らない十代の私はフランスの映画祭でグランプリを獲得したという傑作を目の当たりにした時、自分の頭が悪いのか、映画の字幕が悪いのか、難解な結末をなんとか理解しようとして、何度も映画館に足を運んだのだった。現実を知ってしまえば、あの行為は徒労だったということなのだろうが、自分の中ではいい思い出だ。
約二十年後、2002年に鑑賞した202分の「特別完全版」ではカットされた前半部分の重要な場面が追加されたことと、マーロン.ブランドの比較的に正気な演技場面が追加されたことで、ある意味わかりやすくなり、ファンとして満足した覚えがある。
本日、鑑賞したのは初公開の時のオリジナル.バージョンで、冒頭にも途中にも最後にもクレジットがなく、最初から最後まで映像だけで画面には、文字が一切入らない(日本語字幕は除く)。ラストシーンは真っ暗になって、雨の音が響き、余韻を残して、そのまんま幕である。ENDの文字すら出ない。長いこと映画を見ているが、クレジットタイトルが全くない作品は、これだけである。
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