画像生成 ― 2025年06月01日

最近、使っているアカウントのプランの中に画像生成ソフトがあるのを見つけた。テキストを入力するとイメージにあった画像を作ってくれるという便利なものだが、制約が厳しいソフトなので、思ったことがなんでも出来るというわけではない。猥褻な画像は論外だし、ビキニを着た胸の大きな若い女なんてのも拒否される。ソフトのクセをつかんで、文の表現をいろいろ工夫すると、私が欲しい絵が出来上がるかもしれない。
元は米国産の製品のようで、人物を描こうとすると絵の中に様々な人種が登場してくる。グローバルな世界ではそれが普通なのだが、私の身近な生活とはややかけ離れた感がありますな。性的な表現など制約が厳しいと書いたが、煙草はいいようだ。出来た画像を貼り付けておきます。
こんな感じです。

座頭市地獄旅 ― 2025年06月03日
時代劇専門チャンネルにて鑑賞
船の中の賭場で、揉め事を起こしてしまった座頭市。やり込めたゴロツキどもから恨まれて、江の島でお礼参りにあってしまう。それでも持ち前の早技で撃退するのだが、通りがかった旅芸人の子供に怪我を負わせてしまうのだ。傷口が悪化して瀕死の状態になる子供のことを自分のせいだと心を痛めた市は、あれこれ手段を尽くし特効薬を手に入れる。回復するまでと、箱根での湯治にまで同行することにするのだ。
先般の船の中からここまで、ずっと市と付き合って手助けをするのが、旅の浪人、十文字である。何やらウマが合うこの二人、暇があれば将棋を指している。勝敗は五分五分というところか、、、。
江の島、箱根などの旅籠の様子が実にいい。冒頭から、ロードムービーのような風情があり、大昔の東海道を座頭市一行と一緒に旅をしているような気がした。
十文字役は成田三樹夫。ドラマや映画でよく悪役を演じていたお馴染みの俳優さんである。この映画は昭和40年の制作なので、私が知っている時代よりも若く、実に男前である。話の中盤までは友情で心を通わせているかのように思われる、市と十文字。最後には斬り合う事になる。無情なところがやっぱり座頭市、これがいい。
画像はイメージで、映画とはまったく関係がありません。先日の画像生成ソフトで作りました。刀、と入力しても不細工な日本刀にしかならなくて(刃と柄の部分のバランスが悪い)どうしたものかと思い、試しにライトセーバーと書いてみると、よくなりました。
船の中の賭場で、揉め事を起こしてしまった座頭市。やり込めたゴロツキどもから恨まれて、江の島でお礼参りにあってしまう。それでも持ち前の早技で撃退するのだが、通りがかった旅芸人の子供に怪我を負わせてしまうのだ。傷口が悪化して瀕死の状態になる子供のことを自分のせいだと心を痛めた市は、あれこれ手段を尽くし特効薬を手に入れる。回復するまでと、箱根での湯治にまで同行することにするのだ。
先般の船の中からここまで、ずっと市と付き合って手助けをするのが、旅の浪人、十文字である。何やらウマが合うこの二人、暇があれば将棋を指している。勝敗は五分五分というところか、、、。
江の島、箱根などの旅籠の様子が実にいい。冒頭から、ロードムービーのような風情があり、大昔の東海道を座頭市一行と一緒に旅をしているような気がした。
十文字役は成田三樹夫。ドラマや映画でよく悪役を演じていたお馴染みの俳優さんである。この映画は昭和40年の制作なので、私が知っている時代よりも若く、実に男前である。話の中盤までは友情で心を通わせているかのように思われる、市と十文字。最後には斬り合う事になる。無情なところがやっぱり座頭市、これがいい。
画像はイメージで、映画とはまったく関係がありません。先日の画像生成ソフトで作りました。刀、と入力しても不細工な日本刀にしかならなくて(刃と柄の部分のバランスが悪い)どうしたものかと思い、試しにライトセーバーと書いてみると、よくなりました。
かくかくしかじか ― 2025年06月10日
近年、私はほとんど漫画を読まなくなってしまった。唯一、読んでいるのはゴルゴ13である。そんなわけだから原作の東村アキコさんという漫画家は知らなかった。この映画は東村さんの自伝的な作品で彼女が高校三年生の時から始まって、その後九年間にわたる絵の恩師の方との交流が描かれています。
東村さんが何年生まれのなのかは存じ上げませんが、高校大学を通じて公衆電話を使用している描写があります。ピンク色の電話に十円硬貨を積み上げて会話をしている様子は私自身の学生時代と共通しているものであり、また竹刀を持って生徒たちを指導するというスパルタ式の先生というのものかつては確かに存在していました。携帯電話やスマホがある現代とは明らかに人と人との距離感が違っていて、全編を通じて自分自身と割と近い時代を生きてきた人の歴史を見ることができ、しかもこれが女性目線であるということが新鮮で目新しく思いました。
主人公は人生の節目で、宮崎、金沢、東京と、移り住んで行きますが、この日本列島を縦断するような転居歴は地方出身者(特に大都市圏から離れた都道府県出身者)には共感できる部分ではないでしょうか。
恩師の先生はずっと宮崎にいて、時には東村さんを訪ねて来、時には電話で帰ってこいと言ってきたり、故郷を離れた後も彼女の生活に関わってきます。
私には恩師と呼べる先生はいませんが「描け!」の一言で、怠け癖のある人生に喝を入れてくれる、そのような存在がもしあったなら、違う未来を見ていたかもしれないと、感想であります。
東村さんが何年生まれのなのかは存じ上げませんが、高校大学を通じて公衆電話を使用している描写があります。ピンク色の電話に十円硬貨を積み上げて会話をしている様子は私自身の学生時代と共通しているものであり、また竹刀を持って生徒たちを指導するというスパルタ式の先生というのものかつては確かに存在していました。携帯電話やスマホがある現代とは明らかに人と人との距離感が違っていて、全編を通じて自分自身と割と近い時代を生きてきた人の歴史を見ることができ、しかもこれが女性目線であるということが新鮮で目新しく思いました。
主人公は人生の節目で、宮崎、金沢、東京と、移り住んで行きますが、この日本列島を縦断するような転居歴は地方出身者(特に大都市圏から離れた都道府県出身者)には共感できる部分ではないでしょうか。
恩師の先生はずっと宮崎にいて、時には東村さんを訪ねて来、時には電話で帰ってこいと言ってきたり、故郷を離れた後も彼女の生活に関わってきます。
私には恩師と呼べる先生はいませんが「描け!」の一言で、怠け癖のある人生に喝を入れてくれる、そのような存在がもしあったなら、違う未来を見ていたかもしれないと、感想であります。
国宝 ― 2025年06月17日
冒頭の字幕で歌舞伎の女形という言葉を見、今更だが歌舞伎が女人禁制なのを知った。宝塚歌劇の反対なのだと、思った。
歌舞伎の名門の家に生まれた家元の息子と、引き取られたヤクザの息子。これは出会いから数十年にわたって繰り広げられる血筋と才能のせめぎ合いの話だった。主役はヤクザの方で、家元から見込まれたために、その息子と対等に仕込まれ、二人で舞台にも立たせてもらえるようになる。前半の二人藤娘や二人道成寺を披露するあたりまでは華やかな歌舞伎の世界の歓喜を味合わせてもらえるが、家元が急な入院で代役が必要になった時、運命が変わってしまうのだ。舞台に立つのはひとり。
ここから先はコインの裏表のようにそれぞれの人生が交差しながら浮き沈みを繰り返し、最後には出会いから五十年が経過した未来の世界が見えてくる。ものすごく端折って書いたけど、なかなかに壮絶だった。
平日の午前、映画館に行ってきた。予想以上に館内が混んでいて、少なからず驚いた。普段、映画を見ないような人たちがやって来なければ、このような状況にはならないと思った。
歌舞伎の名門の家に生まれた家元の息子と、引き取られたヤクザの息子。これは出会いから数十年にわたって繰り広げられる血筋と才能のせめぎ合いの話だった。主役はヤクザの方で、家元から見込まれたために、その息子と対等に仕込まれ、二人で舞台にも立たせてもらえるようになる。前半の二人藤娘や二人道成寺を披露するあたりまでは華やかな歌舞伎の世界の歓喜を味合わせてもらえるが、家元が急な入院で代役が必要になった時、運命が変わってしまうのだ。舞台に立つのはひとり。
ここから先はコインの裏表のようにそれぞれの人生が交差しながら浮き沈みを繰り返し、最後には出会いから五十年が経過した未来の世界が見えてくる。ものすごく端折って書いたけど、なかなかに壮絶だった。
平日の午前、映画館に行ってきた。予想以上に館内が混んでいて、少なからず驚いた。普段、映画を見ないような人たちがやって来なければ、このような状況にはならないと思った。
フロントライン ― 2025年06月26日
復活の日とか、パンデミックを扱った映画は他にも何本か見たことがあります。今年の2月に鑑賞した雪の花も、この関連に該当する作品だと思います。コロナ禍の初期、感染者を出したクルーズ船が横浜港で足止めされ、乗客や関係者の皆さんが閉じ込められたまま上陸できなかったときの実話です。
未知の疫病が日本国内に侵入するのを水際で塞き止めることができるか否かの分岐点になりえる出来事であり、その当事者となったとき、特に責任ある立場の人々は恐怖に震えたであろうことが容易に想像されます。神奈川県、横浜市の首長、役人、いったい誰が矢面に立ってことの対応にあたるのか。
映画の冒頭は神奈川県庁の担当者からディーマットに電話が入るところから始まるが、その会話の中で横浜市の健康管理課は対応する気がなく、県庁とディーマットで対応するしかないと考えている、と。
となると、最も初めに立ち上がったのは県庁で、そこから指名されたのがディーマットということなのだろう。恐怖の最前線に立ち向かう司令を出す役人と任務を帯びる担当者が決まった瞬間である。
船の中では次々と感染者が出て、もう制御は不可能の様相になり、高齢者や病人にとっては生命に関わる事態に至る。しかし、受け入れる病院が簡単に決まらない。理由は(感染者ではなく自分が)死ぬかもしれないからだ。死ぬは極端だが、知らない伝染病に関わって自身や家族たちが社会から差別を受ける可能性が高いのがわかっているからだ。
船舶と医療関係者、行政にとっては修羅場だが、それを外から見て心が高揚(悪い意味)している人々がいる。マスコミである。あの時、テレビやネットで報道を見ていた私自身も間違いなく外側からの傍観者で、仮にディーマットの中に、自分が通院している病院の関係者がいたとしたら、あるいは保育園にいる自分の子供の友達のお母さんがいたとしたら、どういう行動をとったのか、そういうことなのだ。
安心してください。この映画は自分の責務を全うする人々の実話ですので、心が救われて希望を持つことができます。つらい時に人を守ってこそ、自分が守れるのです。
物語は船から全員が退去するところで終わります。
未知の疫病が日本国内に侵入するのを水際で塞き止めることができるか否かの分岐点になりえる出来事であり、その当事者となったとき、特に責任ある立場の人々は恐怖に震えたであろうことが容易に想像されます。神奈川県、横浜市の首長、役人、いったい誰が矢面に立ってことの対応にあたるのか。
映画の冒頭は神奈川県庁の担当者からディーマットに電話が入るところから始まるが、その会話の中で横浜市の健康管理課は対応する気がなく、県庁とディーマットで対応するしかないと考えている、と。
となると、最も初めに立ち上がったのは県庁で、そこから指名されたのがディーマットということなのだろう。恐怖の最前線に立ち向かう司令を出す役人と任務を帯びる担当者が決まった瞬間である。
船の中では次々と感染者が出て、もう制御は不可能の様相になり、高齢者や病人にとっては生命に関わる事態に至る。しかし、受け入れる病院が簡単に決まらない。理由は(感染者ではなく自分が)死ぬかもしれないからだ。死ぬは極端だが、知らない伝染病に関わって自身や家族たちが社会から差別を受ける可能性が高いのがわかっているからだ。
船舶と医療関係者、行政にとっては修羅場だが、それを外から見て心が高揚(悪い意味)している人々がいる。マスコミである。あの時、テレビやネットで報道を見ていた私自身も間違いなく外側からの傍観者で、仮にディーマットの中に、自分が通院している病院の関係者がいたとしたら、あるいは保育園にいる自分の子供の友達のお母さんがいたとしたら、どういう行動をとったのか、そういうことなのだ。
安心してください。この映画は自分の責務を全うする人々の実話ですので、心が救われて希望を持つことができます。つらい時に人を守ってこそ、自分が守れるのです。
物語は船から全員が退去するところで終わります。





最近のコメント