倉田山2024年01月10日

倭姫宮の鳥居をくぐり、あらためて坂道を上る。本当は坂道の入り口から左側の鳥居をくぐって森の中に入り、倭姫宮を参拝した後、反対側から森を抜けて徴古館の前に出る、というのが理想的な順路だと思う。


神宮徴古館

明治時代に建築されたというルネッサンス様式(受け売り)の建物が見えてきた。受付で三館通し(徴古館、農業館、美術館)の切符を買い、別館から入った。フロアの入り口付近にあったビデオに見入ってしまった。倭姫命の旅を紹介する内容である。古墳時代、天照大神の鎮座する理想の場所を探して諸国を巡った。先ほど参拝した倭姫宮に祀られているお方である。別館は期間限定の展示物がある場所らしい。部屋は二つあるだけだった。入口に戻って、本館に向かった。一番よかったのは中央ホールにあった正殿の模型だった。内宮外宮とも正殿は外側から見るだけで中に入ることができないから全様がわからないのだが、ここで具体的にイメージすることができた。戦国三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の印状が展示されていたが、あれは本人の書なのだろうか?歴史には詳しくないのでよくわからないが、少なくとも安土桃山時代の逸品であることには間違いがないと思われる。

神宮農業館

徴古館と同じ人物が設計した木造の建物で平等院をイメージしたらしい(受け売り)。神宮で使われる神饌に関連した展示品、米の他に塩、鮑、鯛などの調整所に関する資料。神饌の中でも鮑の格は鯛よりも上らしい。神塩は今でも二見町の塩田で海水から作られているそうな。セミクジラの骨が展示されていた。何時代かは失念したが捕獲された個体は三十メートルあったという。(本当ならばシロナガスクジラの最大級に匹敵する大きさなのではなかろうか)下顎の骨は床から天井まで届くものだった。触れていいらしいので、触ったが大理石の様に硬く、表面はツルツルだった。生糸や繭などの他、蜘蛛巣城で老婆が回していたやつ(座繰り器というらしい)もあり、古くからの農業(漁業製糸業)の歴史を垣間見ることができました。

神宮美術館

和風の建物。四つの主屋が回廊で囲まれていて、廊下から中庭を臨むことができる。外側も広い日本庭園になっていて、館内の広い窓からは四季折々の草木を眺められる(受け売り)。この日は庭師の方々が落ち葉の掃除をやっておられるのが見えた。腰に吊るした火炎放射器のような形をした器機から空気を放射して庭の落ち葉を吹き飛ばし、一箇所に集めてゴミ袋の中に詰め込むという作業のようだった。

(フロアマップより)入り口から入ってエトランスを通り、回廊を時計回りに広間から展示廊、展示室一、休憩室、展示室二、と歩いて、エトランスに戻ってくる、というのが一般的な順路だろう。何も考えていない私は反時計回りに歩いてしまった。日本画、洋画、版画、書、彫刻、工芸品、など。文化勲章受賞者、文化功労者、日本芸術院会員、人間国宝、の作品が展示されています。肩書に権威があるのでそれなりの作者なはずですな。芸術は好み(嗜好品)だと思います。素人なりに、いいと思ったものもありました。ひとつあげるなら、龍の日本画がよかった。今年は辰年だし。

午後二時過ぎ、美術館を出た。徴古館に入ってから二時間ちょっとが経過していた。坂道を下ってバス停に向かったが、時間のタイミングが合わず、また駅まで歩くことにした。宇治山田から特急電車に乗って大阪に帰ろう。日が暮れる頃には難波に着いていたい。


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