初詣2024年01月01日

地元の神社は山の中腹にある。小さな鳥居をくぐると祠のような小さな正殿がある。横には社務所があるが、倉庫兼集会所みたいになっている。それだけだ。神職も巫女もいない。地元の自治体によって運営されていて、秋祭りの時にしか人が寄り付かないと思っていた。私が現役の子供の頃はまだ同年代の連中が多かったから、祭りも盛り上がったが、今では風前の灯火である。私自身、ここにきたのは小学生以来だった。
大晦日の午後11時50分過ぎ、家を出てゆるい坂道を下った。どこかのお寺の除夜の鐘の音が聞こえてくる。いつもの年ならテレビで聞いている鐘の音だが、今年は生である。新年が明けたのは坂道の途中だった。年明けとともに神社には人が集まり始め、正殿の前に列ができる。少し並んだ後、二拝二拍手一拝で拝礼をした。正殿と社務所の下にちょっとした広場があって、いくつかのテントが並んでいる。自治会主催の新年会、運営しているのは年配者ばかりだ。参拝をしたら、順番に御神籤を引けるのである。私は小吉だった。みかんとテッシュをもらった。飲み物(ジュースやリポビタン、ミネラルウォーター、その他)ももらえる。私は缶ビールを選んだ。さらには紙コップで新春のお神酒(平たく言えば日本酒)もいただける。前に並んでいたお姐チャンは酒好きらしく、お願いしますと差し出した紙コップから溢れるほどになみなみと注がれていた。振る舞い酒担当のおじさんは、次に並んだ私に気を利かせてくれたのか、負けずになみなみなみなみーときたが、6分目くらいで、止めた。
焚き火の前に出て、暖まりながら新年の酒を飲んだ。Kは飲まなかったが、ともに焚き火を囲んだ。ちょっとの時間だったけど、いいものだった。

PERFECT DAYS2024年01月06日

カセットテープ、文庫本に銭湯と、平山さんは私が80年代から90年代初頭にかけてやっていたような生活を今でも続けているようです。居間にあるラジカセはソニーのスタジオ1980だと思います。憧れの名機です。
キャッチコピーには、こんなふうに生きていけたら、とありますが、一人でいるのを苦にしないもっと言えば孤独が好きな性分であれば、静かでいいだろう。映画の中では職場の同僚が絡んできたり、長く疎遠にしていた姪が訪ねてきたりしますが、基本的に平山さんはほとんど口を聞かなくても済むような生活をしているはずである。山の中のポツンと一軒家のほうがさらに静かな環境で暮らせるが、監督のヴェンダースさんは東京で撮影したい気持ちが明らかにあったと思われる。平山さん、世捨て人のようでいても都会を離れないのは、必ずしも本格的な人間嫌いではないのだろう。
ぜんぜん関係ない映画だけど、外国人の監督が東京でロケをしたという共通点で思い出したのがロスト.イン.トランステーションだった。渋谷や新宿の夜景がブレードランナーみたいで印象に残っている。車で首都高速を走行する場面がちょっと似ています。
平山さん、山の中は真っ暗だから夜空の星がよく見えますよ。オリオン座なんて光り輝いています。
田舎の話は的外れですね。東京の街がこの映画の見どころであり、大きな魅力になっているのです。

伊勢参り2024年01月09日


例年にないことなのだが、今年は連休が取れたので、一泊二日の旅に出かけた。

賢島の旅館を予約した。一泊二食付きのコースなので、晩飯の時間に間に合うようにするためには午後五時過ぎには近鉄賢島駅に到着していることが望ましい。余裕を見て逆算すると内宮の参拝を終えて宇治山田の駅に三時半くらいに着くのを目標にしたらいいだろう。

早起きして午前八時前に最寄りの駅を出発し、近鉄大阪難波駅の切符売り場に到着した。最速の時間で難波発の列車はなく、上本町で特急電車に乗り換えるのがいいようだ。九時十三分発の伊勢志摩ライナーで、外宮のある伊勢市駅には十時五十四分に到着する。ペットボトルの緑茶と淡路屋の駅弁を買って、電車に乗った。

外宮 

トイレ

火除橋 古札納所 手水舎 正宮 多賀宮 土宮 風宮 授与所  

授与所で近鉄の記念品 初幸の辰の置物をもらう 

海上安全大漁満足のお守りを発見する。迷ったが、内宮で頼もうと思った。

トイレ

神路通りを歩いて月夜見宮へ 

外宮前に戻り三重交通のバスに乗り内宮へ 

内宮 

バス停のそばの店で伊勢うどん(390円)を食べた

宇治橋 古札納所 手水舎  

瀧祭神  正宮 荒祭宮 風日祈宮 トイレ 神楽殿 

神楽殿で新年のご祈祷を(御饌) 私と一緒にお祓いを受けておられる方々の居住地と氏名が神前に向けて口上される。相変わらずみなさん、日本全国からおみえになっておられる。

海上安全大漁満足のお守りをもらう

参集殿で御神酒を買う 

参拝を終えたので宇治橋を渡って隣のおはらい町へ 

例年ならば、もくとんへいって豚かば丼を食べるのだが、今年は歩くだけで、三時すぎのバスに乗り、宇治山田へ。

初詣割引切符の特典を使い、賢島行きの特急に乗る。



賢島2024年01月09日

内宮への参拝を終え、例年のようにおはらい町を歩いた。今年は伊勢志摩に泊まりの日程なので、ここで飯を食うのはやめておくことにする。白鷹の店があったので、酒を買おうか迷ったが、見るだけにした。

午後三時過ぎ、三重交通のバスに乗って宇治山田駅に向かった。

購入したのは午後三時三十七分賢島行き特急の指定席だった。四十分ほどで到着する。

賢島は近鉄伊勢志摩の終点である。子供の頃、社会科の教科書で学習したリアス式海岸、英虞湾に来た。

男ひとりなので、宿泊する宿に期待するのは値段の安さであって、多くは求めない。飯と風呂があればいい。現実に、古くて古く古く古く古い旅館だった。鉄筋のホテルだが、造りといいなんといい、ザ.昭和である。ロビー(フロント)(受付)の照明が暗い。置き物が沢山ある。天皇陛下(現在の上皇陛下)のお写真が飾ってある。ロビーにあるテーブルの上にオセロやら将棋やらすごろくやらアナログな遊び道具が山積み。フロントに行って呼び鈴を(持ち上げてふりふりしてちりりんと鳴らすやつ)鳴らしても誰も出てこない。平日のせいかもしれないが、わりと大きめのホテルに従業員が見当たらないというのは珍しい経験だった。予約の段階で午後六時のチェックインにしていたから早くきすぎたのかもしれない。寒いけど海でも眺めて時間を潰そうか。一度外に出てホテルの裏側にまわり、英虞湾の風景を見た。目の前に小さな島があって、その奥にも島があるのがわかる。沖の海は見えない。飛行機に乗れば小さな島々が点在している複雑な地形を見ることができるのだろう。午後五時、もうじき日が暮れる。もう一度フロントに行ったがやっぱり誰もいない。大きめの声で呼んでみたら、奥から返事がして白衣の上に茶色い羽織着物をまとった男が出てきた。おそらく、この人の本職は料理だと思われるが、受付から部屋、食事と風呂(大浴場)の時間まで、ぜんぶ一人で案内をやってくれた。先に風呂に入りたかったので、食事は六時からとした。部屋は二階海側の十畳和室で、大浴場は地下、食事は一階の和室である。私の他に客が見当たらない。古い鉄筋の大きなホテルで、貸切状態、従業員も今のところ一人しか見ていない。もうじき夜になる。シャイニングを思い出してしまった。ホラー映画みたいな展開だ。

とりあえず落ち着きたい。部屋に入った。踏込の横にトイレがあり、靴を脱いで上がった板間に冷蔵庫が置いてある。持ってきた飲み物を入れた。和室は十畳、すでに布団が敷いてあり、座卓に茶器があり、床の間だった場所には薄型テレビが置いてある。縁側には小さなテーブルと椅子、縁側の横に洗面所と風呂がある。窓の外は冬の英虞湾が広がっていて、眺めがいい。

地下の大浴場に行った。脱衣所で服を脱ぎ、中に入った。昔ながらの銭湯といった雰囲気で、蛇口の下に赤錆が浮いている。湯は熱い。私は風呂が長い。ゆっくり浸かってからあがったが、やっぱり他には誰も入ってこなかった。女湯もあるが電気は消えていた。



英虞湾2024年01月09日

風呂から上がり、身体を拭いて服を着て、外に出た。隣にある女湯の照明は消えている。今日は女性の客はいないのだろう。薄暗い廊下を歩く、地下は大浴場と大広間(宴会場)になっている。団体客がいないので、大広間は真っ暗である。エレベーターの横に飲み物の自動販売機を見つけた。酒も売っている。ロビーにあったのはアサヒビールだったが、ここのはキリンだった。二階の客室に戻った。今日は寒い、暖房の設定温度をたかめにした。晩飯までにはもう少し時間がある。持ってきた文庫本(楊令伝)を読んだ。
午後六時、部屋の電話が鳴った。受話器を取ると、女性の声で「お食事の用意ができました。112の部屋までお越しください」と。部屋の鍵をかけ、一階に降りて呼ばれた部屋に入った。二階の部屋と同じ間取りである。電話をくれた中居さんが待っていた。本日、二人目の従業員さんである。チャッカマンで鍋料理の固形燃料に火を入れてくれた。お茶の用意もできている。あとはポットから急須に湯を注ぐだけである。
私が予約していたのはあわびお刺身付きのプランだった。
漬物、もずく酢、エビフライ、海鮮鍋、茶碗蒸し、煮魚、刺身(マグロ、ヒラメ、あわび)、汁物、ご飯、みかん、です。あわびの刺身にはモツの部分もついているそうだ。中居さんは火をつけたあと「ごゆっくり」と言い、あとはひとりにしてくれた。私は地下の自動販売機まで行ってキリンビールを買ってきて、ビールを飲みつつ、晩飯を食った。ホテル中で、晩飯を食っているのは私一人だけである。
静かすぎるから、テレビなんぞをつけた。午後六時発、夕方のニュースをやっていた。ここら辺は名古屋がキー局になっていて、私には新鮮だった。天気予報が、名古屋、一宮、豊田、豊橋、伊良湖とか、名古屋、岐阜、高山、津、とか。八代亜紀がなくなったらしい。船唄は高倉健の映画の中で強く印象に残っている。飯を食い、(一人で)おかわりもして、ビールを飲み、締めに茶を飲んで、食事を終えた。満腹である。
部屋に戻り、床の間の横にある開きから浴衣と帯を取り出して着替え、縁側の椅子に座り(楊令伝)の続きを読んだ。童貫を討ち、宗は滅んだ。反乱軍が敵を討つという目的を果たしてしまったら、その先はどうなるのか。おのれが逆らっていた国家が倒れれば、今度はおのれ自身で後の国家を背負って行かねばならなくなる。帝国が滅んで民主主義が復活した、万歳、みたいなことにはならないのだ。
夜がふけた。もう寝る時間である。電気を消して、窓のカーテンを開け、外の景色を見た。海は暗くて見えないが、星はよく見える。地上に灯りがなく、空には雲がなく、月も見えない。今夜は星が多い。
寝た。
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