宮松と山下2022年11月30日

宮松はエキストラの俳優。京都の撮影所で映画かテレビの端役をやっている。冒頭からしばらくは、劇中劇の場面が畳みかけるように現れては次の場面に切り替わる。途中で、劇中なのか現実なのか、分からなくなってしまうような演出に戸惑ってしまう。なんの説明もなく、カメラを通した冷たい目線の連続である。
宮松は普段の生活においても感情が乏しく、喜怒哀楽の表情がまったくない人間である。話が進むうちに、その理由が記憶喪失であることがわかってくる。過去にタクシー会社で同僚だったという谷という男が、職場に面会に訪れてくることをきっかけに、物語が動き出すのであった。
彼には十歳以上歳の離れた藍という名の妹がいるという。谷の導きで、実家だという関東地方にある家を訪ね、妹とその夫の健一郎に会うことになるのだ。「お兄ちゃんの実家だから、何をしてもいいのよ」という妹らしき女の言葉に困惑する宮松(実名は山下)。
先日、鑑賞した「窓辺にて」では俳優さんたちの言葉のやりとりによって、登場人物たちの状況や立場などが詳細に語り尽くされるので、ある意味実にわかりやすい映画だった。
しかしこの映画は、セリフが少なすぎて妄想を掻き立てられてしまう。話の結末に、あぁなるほど、そういうことか、とは思うのですが、もしかしたらと妄想してしまう。
これは小説やラジオドラマでは表現ができないですな。映像ならではの世界です。台詞で語られることのないカメラでとらえた俳優たちの表情が見所になっています。

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