ミッション.イン.ポッシブル/フォールアウト2018年08月04日

トム.クルーズの体を張った壮絶なアクションが感動をおぼえるほどの出来で、それだけでも尊敬に値する映画である。彼は1962年生まれだということなので56歳である。私が一番目を見張ったのは建物の屋上を全力で疾走する場面だった。年齢のことは別にしても、他の俳優の誰があれほどのスタントをこなせるというのか、異次元の人物であることは疑いがない事実であると言えよう。演技力を超越した本物の迫力がそこにあった。
映画の導入部における作戦本部からの指令を受ける場面は、前時代的で時代遅れのようですが「スパイ大作戦」へのオマージュが込められているのだと想像します。
あまりに面白かったので、やや感情的な感想文になってしまった。これから見にいく人は期待値を差し引いてから出かけてください、

お盆2018年08月10日

盆には少し早かったが帰省して父の墓にお参りをした。北の墓苑は山を切り開いて造営されており、市内を広く見下ろせる場所にある。我が家の先祖代々の墓の区画には五つの墓石があり、右側の三つが当家のものである。
左にある二つのお墓は、平たく言うならば他人のお墓です。近年、お参りにくる人がいないようで、墓前に植えられた松の苗木が伸び放題で、二、三年前から墓参りのたびに気にはなっていた。
今年に入り、発達した枝ぶりが当家の墓にまで覆いかぶさるようになり、看過できない領域に達するようになってしまった。誰も手入れしない松の木は三百六十度の方向に枝を伸ばしており、このまま放置すれば、当家のものよりも先に、お隣の墓石を押し倒しかねない勢いである。私は墓を守るために決心して、松の木の枝を切ることにした。父の墓参りの後、レンタカーに園芸用の裁ちバサミを積み込んで、墓苑に引き返し、やるべきことをやった。
枝を払った松の木はすっきりし、覆われて見えなかった墓石が姿を現して、墓場が綺麗になったのである。
この先、数年ごとに手入れの必要があるのかもしれない。

写真は文と関係ありません。自分が通った小学校のものです。

カメラを止めるな!2018年08月18日

盆休みに「ウォーキング.デッド」の第1シーズン(全6話)を鑑賞した。もともとゾンビ物が好きな上に、職場の同僚から勧められたこともあって、連休を利用して二日がかりで見たのであった。話数が少ないから楽だった。
テレビやゲームに限らず、映画の世界においてもゾンビは人気者で、数多くの作品がありますな。私はこの分野においてはどちらかというと国内産よりも海外の作品の方が好みです。あくまでも個人的な印象ですが「ゾンビは欧米人」だという感じがあります。子供の頃に最初に見たのが1978年の「ゾンビ」で、強烈なインパクトを受けたからだと思います。日本の湿った風土にはゾンビよりも幽霊の方があっているような気がするのは私だけか?

さて「カメラを止めるな」です。いつもネタバレを書いてますがこの映画については特に未見の方はこの感想文を読まずに出かけられた方が楽しめると思います。注意です。なので段落を大きめにしておきます。












ゾンビチャンネルなる放送局があって、三十分のワンカットでゾンビサバイバルを生放送するという企画があります。映画の冒頭はこの「ワンカット.オブ.ザ.デッド」という番組で始まるのだ。本当にワンカットで三十分以上引っ張ってくる。かなりの力技だけど、見ているうちに引き込まれてしまう。失礼ながら無名な俳優さんたちばかりなので、役者の顔に全然目がいかず、スクリーンの中の展開について行くのが精一杯だし、話の着地点が全然読めない。この冒頭部分が終わったところで、撮影現場の舞台裏が明かされるという内容なのです。
考える間も無く突き進み、一気に終わってしまった最初の三十分の謎(謎だという自覚もなく終わってしまいますが)が次々と回収されていき、しかも面白いのです。大変に優れた喜劇だと思いました。

ペンギン.ハイウェイ2018年08月21日

カフカの「変身」という小説を思い出した。ある朝、男が夢から目覚めると自分がベッドの上で強大な毒虫に変わっているのに気がついた、というアレである。
目の前に起こった事実をあるがままに記録し、その経過を観察し、論理的にに思考して、その本質を理解する。
小学四年生のアオヤマ君は、子供にして一人前の学者である。興味を抱いた事柄については細かくノートに書き込んで、真面目に研究するような少年なのだ。目下の研究対象は町を流れる小川の水源をたどることと、海がないのに町中に出現したペンギンの謎である。
アオヤマ君は自分が通っている歯科医院で働いているお姉さんが好きである。おっぱいが大きくて気に入っているというところも男の子らしくて微笑ましい。ペンギンの群れが歩いた跡にできる道をペンギン.ハイウェイと呼ぶことを知り、彼らがどこから来てどこに行くのかを真面目に観察しているうちはいい。
ある日、お姉さんが空に向かって投げたコーラの缶がペンギンに変身する。不条理である。ここを境に映画はやや難しくなってくる。アオヤマ君のクラスメイトのハマモトさんは小学生にして相対性理論を読んでいるような少女である。彼女はチェスが強く、誰も勝てない。研究好きのアオヤマ君に自分と同じニオイを感じるのか、興味を持っているようだ。ある日、アオヤマ君はハマモトさんにチェスで勝つのだが、それをきっかけに森の奥にある秘密の場所に連れて行ってもらうことになる。そこには水で出来た球体が浮かんでいる。
小川には水源がなくメビウスの輪のように初めと終わりが繋がっている。ペンギンを出現させているのは歯科のおっぱいが大きいお姉さんである。森の奥の球体は大きさが変わる。ペンギンは球体と相互作用があるようだ。
お姉さんとペンギンと球体は何らかの関係がある。話が進むに連れてアオヤマ君は、そのように確信するに至る。
みんな不条理な存在なのだ。やがて災厄の予兆のようなものが現れるが、結末は謎のようでもあり、私のような凡人には理解の範疇を超えたものである。
映画が終わった後、後ろの席で見ていた女の子がお父さんに言っていました。「これは大人の映画?」

夏の日2018年08月31日

私は奈良県のダム湖が好きである。春から秋にかけての季節には月に二回は訪れるのだが、八月に関しては三度目である。前々回は七日、前回は十五日、今日は八月三十一日、さよなら夏の日である。
ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声が聞こえてくる中でボートを流しながら朝の七時から午後四時半までの間、一日過ごした。平日にしては人が多く、しかも重装備のボートを多く見かけた。帰り際、携帯電話でホテルの予約を確認している人たちがいた。という事は明日も来るつもりなのか。明日は土曜日、彼らはプラクティスに来ているのか。明後日の日曜日はトーナメントがあるのだろうか。
今日はヒグラシの鳴き声が聞こえなかった。
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